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管理者プロフィール

初めまして、たけしです!

私のウェブサイトにお越しいただき、ありがとうございます。

私は、去年サラリーマンをやめた、49歳フリーターです。

このページでは、なぜ僕が、WEBマーケティングを学ぶことを発信しているのか、自己紹介と一緒にお伝えしたいと思います。

基本情報

名前   たけし
出身   京都
生年月日 1974年4月
性別   男
職業   フリーター
趣味   ドライブ 飲み ゴルフ

幼少期~中学時代

幼少期

私は、京都で一般的な家庭の3男として生まれました。

専業主婦の優しい母親と、仕事漬けの父親、兄が2人。
兄2人とは歳が離れていたこともあり、兄弟げんかすることはなく、家族全員から可愛がられて育ちました。

収入も一般的で、特に金銭的な不自由は感じず、恵まれていたと思います。

 

小学校では、明るく活発で、野球やサッカー、鬼ごっこ、ビー玉、ファミコン、勉強、なんでも要領よくこなすタイプだったので、クラスでは中心的存在。

思うがままに楽しんでいた幼少期でした。

中学時代:サッカー部の暴力的教師

 

当時大好きだったマラドーナの影響で、小学校高学年から始めたサッカーが楽しくて、中学ではサッカー部に入りました。

しかしそれが、中学生活を楽しくないものにさせてしまうことになります。

サッカー部の顧問が、少しいきすぎたスパルタ教師だったのです。

 

練習は、走ることがメイン。
なかなかボールを触らせてもらえず、たのしくありません。
1人でも定めたタイムで走れなければ、連帯責任と言って再度全員走らされ、終わりがありません。

走るのが嫌いだった僕には地獄でした。

試合では、内容が気に食わないと、ハーフタイムに校舎裏で思い切り猪木ビンタされます。(ほぼ毎試合ビンタされてました。笑)

などなど。

 

先生が怖すぎて、サッカーを楽しむというより、先生の顔色を伺うことに集中していました。

気づけば、好きだったサッカーが嫌いになっていました。

それどころか、部活が始まる時間が迫ってくるのが恐怖で、学校に行くのもイヤになってしまいました。

明るく周りを楽しませる様だった性格も、力や権威のある人を怒らせないよう、少しビクビク、警戒心のある面ができてしまったように思います。

高校生~大学生

高校は地元の公立高校に行きました。

もちろんサッカーはやめて、色々な部活を転々としてました。スラムダンクが流行っていたこともあり、昼休みは、クラスメイトともっぱらバスケをしていました。

理系のクラスで成績はそこそこでしたが、このころから、
勉強が大嫌いなことに気づき始めます

受験勉強をするのが嫌だと思っていたところに、指定校推薦の話がきました。
試験なしで大学入学できますが、指定された大学の指定された学科を選ぶことになります。
それは関西の大学の建築科でした。

建築には特に興味がありませんでした。

しかし、特にやりたいことや将来の夢など、イメージできてなかった私は、とりあえず受験勉強いらずの指定校推薦を利用させてもらい、ラクをして大学進学することをきめてしまいました。

 

しかしこのことが、あとあと苦しむ原因になります。

 

大学入学すると、周りのほとんどは建築科を志望してきた学生ばかりです。
興味もなしに入学した私とは、モチベーションに雲泥の差がありました。

 

すぐに落ちこぼれました。(笑)

 

ただでさえ勉強嫌い、興味もやる気もない私は、授業もそこそこに、大学で初めて出来た彼女と遊んだり、大学の近くの雀荘で、麻雀ばかりしてました。

それでも、何とかギリギリで建築科を卒業できた私は、住宅メーカーの会社に就職することになりました。

新社会人:社会の厳しさをしり、あっさり退社

職種は住宅建築の現場監督でした。

いろいろな業者や大工さん、お客様などと段取りや打ち合わせなどしながら、工事が無事完成するまでを現場管理する仕事でした。

新米なので、現場では、業者さんや大工さんに指示するというよりは、缶コーヒーでも差し入れしながら、いろいろ教えてもらい勉強させてもらっていました。

特に、大工さんの技術の凄さには、関心するばかりでした。

 

しかし、サービス残業や少ない休日、その割には少なく感じた給料や、楽しみにしてたボーナスが100%カットされたり、同期入社の同僚が2年目でクビになったり、と会社のブラックさや、先行きに不安を感じます。

それに加えて、そもそも、建築がやりたかったわけでもない私は、会社をあっさり2年で辞めてしまいました。

 

その会社のこともあり、次は福利厚生のしっかりしている安定した会社で働きたい、と考えた私は、それからしばらくアルバイトをしながら資格の専門学校に通いつつ、27歳のときに、たまたま採用された大手保険会社に入社することになります。

 

27歳:大手企業へ再就職

 

職種は保険の営業でした。

営業といっても歩合制ではなく、基本給がそこそこあり、休日は土日祝、有給休暇も消化できる、福利厚生のしっかりとした会社でした。

しかし、営業ノルマの厳しさやパワハラ、現場にそぐわないトップダウンで理不尽な命令や指示があったりと、仕事にやりがいや楽しさを感じることはほぼありませんでした。

それでも「安定」を求めて入社した私にとっては、何か違和感を感じながらも、同僚や仲間にめぐまれたこともあり、なんとか続けることができていました。

 

このころ、社会人になってから友人の誘いで本格的に始めたバスケが楽しく、毎週の様にしているうちに、バスケが大好きになっていました。

学生での部活経験はありませんでしたが、仲間うちで作ったチームに入らせてもらい、リーグ戦に出場するなど、かなり夢中になっていました、

大ファンだったNBAのスーパースター、コービーブライアントの試合を観戦するために、バスケ仲間とフロリダにいったりもしました。(笑)

男4人の2泊5日という弾丸旅行でしたが、無茶苦茶楽しい思い出になりました。

38歳:結婚~そして2年で離婚

38歳のとき、当時2年間付き合っていた彼女と結婚することになりました。
ゆったりとした性格の、やさしいお嫁さんでした。

新婚旅行で初めて行ったオーストラリアでは、楽しみにしていたエアーズロックに登ることができました。

今現在は登ることができないそうですが、当時は2分の1の確率で登ることができました。

ガイドさん曰く、当日の天候が良くて、原住民の催しなどがなく、許可があればオッケー、とのことで、その日はラッキーにも登ることができました。

登るには、1リットル以上の水が必須でした。
急な坂をロープを使ったりして登っていくのですが、空気が乾燥していて、必ず喉が渇くためです。

頂上からの、澄み渡った壮大な景色は、
日ごろの小さなことを忘れさせてくれるくらい感動しました。

耳鳴りで病む

結婚して半年くらい経ったころ、耳鳴りに悩みはじめます。
最初は、夜中寝静まったときに少し聞こえるくらいで、気にならないくらいの小さな音でした。

それが、日がたつにつれて、少しずつ音が大きくなってきたのです。

鈴虫がないているような、ピー、という音が、24時間なりつづけるようになりました。

もちろん寝ている間や、他の事に集中している間は気づきませんが、耳にフォーカスすると、ずっと音が聞こえている状態です。

体はどこも悪くない感じでしたが、気になって寝れなくなったりし始めたので、耳鼻科の病院にいくと、「難聴」という病名をつけられました。

聴力検査をすると、高音域(耳鳴りのピーという音に近い音)が少し聞き取りにくくなっているそうでした。

お医者さんには、原因は、パチンコ屋で大きい音を聞いてるからじゃないか、といまいち納得できないことを言われ、治す方法もよくわかってないらしいのに、筋肉の緊張をほぐす薬、なるものを処方されました。

薬をのんでも治らないので、他の病院にいったりもしましたが、どこもだいたい同じような診断をされました。

治る気配も治す方法もわからず、これからも悪化してどんどんと音が大きくなっていったらどうしよう、という得体の知れない不安や。

ネットで、耳鳴りをきっかけに精神的に病んでしまった人がたくさんいてる、などの情報をみてしまうなど、ますます落ち込んでしまい、一睡もできない日が続くようになりました。

とうとう、体力的にも精神的にも会社にいけなくなってしまい、しばらく休むことになりました。

寝れないので、処方された睡眠薬を飲み始めると、少し寝れるようにはなりましたが、数週間後に、今までに見たことのないひどい蕁麻疹みたいなものが体中にでてきました。

 

治らないどころか、体もおかしくなってきたので、薬をやめ、次はネットで調べた耳鳴りをメインに診察されているとの、東洋医学の先生の整体院へいきました。

この先生に救われました。

この治療院にくるほとんどの方が、病院でも治らないから来られているそうで、他にも私と同じ悩みをもった人がいることに、少し安心感をもちました。

先生に、耳鳴りというのは、体に疲れやストレスなどが溜まったときに、それを治そう、発散しようとしてくれているただの症状だといわれました。

なので、肩こりなどとと同じようなもので、特に体がどこも悪くないのであれば、それは病気でもなんでもない、体が正常に働いてくれている証拠だと。

そういう自分の体に感謝しながら、疲れやストレス、姿勢や生活習慣、そういうバランスがとれるようになれば、しぜんに消えていくものなんだよ、薬が治すものではないんだよ、と教えて頂きました。

目から鱗が飛び出る思いでした。

耳鼻科の病院では

耳は日常支障なく普通にきこえているのに、難聴と診断?
難聴の原因がパチンコの音?
難聴という病名は付けるけど、治す薬はない?
そもそも耳鳴りと難聴をごちゃ混ぜにしてない?

このような診断にすごい違和感があった私には、東洋医学の先生の話がよく理解できました。

体の本質を教えてもらった私は、先生のマッサージもあり、一気に元気になりました。

もちろん今でも変わらず耳は聞こえています。(笑)

 

結婚生活のほうは、彼女との距離感が合わなかったのか、知らず知らずにお互いが無関心になり、子供ができることもなく、2年で離婚することになりました。

人に干渉、コントロールされるのが苦手なこと、1人でいる時間が嫌いではないこと、に気づいたりしました。

結婚には向いてないのかも。(笑)

40歳:会社、社会への不信感

このころになると、ノルマやパワハラ、トップダウンで理不尽な命令、指示、残業、金利低下による商品自体の魅力の低下、売上至上主義、どんどんと社内環境が悪化していくのを感じていました。

目先の利益のために、既に利用いただいている商品を解約させてでも、上手いことすすめて新しい商品を売ってきなさい、という会社のスタンス。

自分がお客様の立場なら絶対に購入しないであろう商品に、ノルマが課せられるというストレス。

 

パワハラの横行もエスカレートしていきました。

ある日、上司から、その上司が気にかけているある女性社員から慕われている私のことが気に食わない、という理由だけで、事務所の端に2時間立たされたこともありました。

立たされたあとに言われたのが、
「みてみろ、おまえが2時間働かなくても、事務所は通常通り動いている。おまえなんかいなくても大丈夫、ということだ。」

何回思い出しても腹が立ってしまいます。(笑)

その上司は数年後、パワハラのしすぎで訴えられて、クビになりました。

 

そんな会社、ピラミッドな組織が日に日に嫌になっていくのを実感しながらも、

日々の生活のため。ご飯食べるため。遊ぶため。貯金のため。年金のため。老後のため。
いやいやでも、辞めさえしなければ給料はもらえる。

しかしながら、

・1回きりの人生、貴重な時間をこんな場所で費やすべきなのか。
・定年まで会社にしがみついて、あとあとそれで良かったと思えるのか。
・人生このままでいいのか。

などと考える日が多くなりました。

48歳:退社~ピラミッド社会からの脱出へ向けて

私が46歳の春に、母がガンでなくなりました。

ちょうど、コロナ騒動が始まったときでした。

身内ですら面会を制限されました。
医者から、もう一か月ももたないといわれていたにもかかわらずです。

面会できるのは息子だけ。しかも一人まで。
最後に会いたがっていた母の兄弟姉妹、親戚、孫達の顔も見ることができずに、母は息をひきとることになりました。

そこまでやるか。
過剰な感染対策に深い憤りを覚えました。

こんなタイミングでこの世を去ることになった母が可哀そうな限りでした。

 

そのときは、実家で母と次男と3人ですんでいましたので、母がいなくなり、次男と2人になりました。

ここで、コロナを過剰に恐れていた兄に、バイキン扱いされはじめます。

電車をやめて、車で通勤を促してきたり、
私が歩いたところをアルコール消毒したり、
お風呂に私が入ったあとはすぐに入念に洗ったり、(笑)

生きた心地がしなくなった私は、すぐに家をでて、一人暮らしを始めました。

 

世の中は、大きく変わってしまい、これまで以上に、将来の先行きが見えなくなりました。

しかし、もともと、耳鳴りの一件もあったり、病院や薬などに疑いを感じていた私は、コロナをきっかけに、ますます世の中に対しての疑問や、色々と感じること、気づくことがふえました。

会社では、がん保険という商品も販売していました。
お客様に「男性の2人に1人ががんになります」というチラシを見せながら。

ある日、そのことに違和感をおぼえました。

なぜ、これだけ医療が発達しているといわれている日本で、2人に1人が?

調べると、外国では、がんが減ってきているそうでした。
ひきかえに日本は、世界トップクラスにがん患者、がん保険の加入が多い国だそうです。

 

・なんで医療先進国と言われている日本で2人に1人もがんになるの?
・2人に1人もがんにならないような社会にするほうが先じゃない?
・病気が増えることで、結局だれが儲かってるの?

と考え始め調べると、答えはすぐにみつかりました。

今まで20年、がん保険を販売していた自分に、ゾッとしました。

もう無理だ、こんな、マッチポンプ社会に貢献したくない。

そんなピラミッドな組織の歯車として働きたくない。

 

今までの迷いが吹っ切れた私は、48歳で仕事をやめました。

 

その後1年は、しばらくゆっくりしながら、やりたいと思うことを見つけようと、自由にすごしました。

地元京都の、宇治茶の茶畑で、茶葉狩りのアルバイトもしました。

人生初めての農業経験。
慣れない肉体労働は大変でしたが、農家さんの優しさや温かさ、
大自然に触れあうことを仕事にできて、人間らしく生きてる実感を感じました。

 

そして今年、たまたま幼馴染の同級生から、
「とくにこれからやりたいことがきまってないなら、こんなのあるよ、」
WEBマーケティング講座なるものを紹介してもらいました。

それは、

ゼロから始める人を対象とした、WEBマーケティングの総合的な講座。
様々なスキルを身に付けると、その度合いに応じて収入が期待でき、手に職が付く。
受講料60万円で期間は1年間。

今までに関わったことのない世界で、スキルも実績もゼロの私にはすぐにイメージが湧きかず、その金額が高いのか安いのかもわかりませんでしたが、思い切って講座に入会することにしました。

なぜ入ることにしたのか。

WEBマーケティング講座を受けると、

将来的に安定的に収入が得られる
お金に余裕ができる
場所や時間にしばられない
手に職がつく
これからの時代に必要なWEBの技術が身につく
組織にしばられない
人の役に立つ
人生かえられる
手厚い講座のサポート
内容も充実
素晴らしい先生方と関われる

などのメリットを感じたからです。

ピラミッドな組織にしばられたくない私にはこれしかない。
そして、たまたま年齢制限が50歳まで。

やるしかない

とおもいました。

 

これから一年間、WEBマーケティング講座を受けて、
その中で、学んだことや感じたことを、このブログに書いていきます。

 

今まで、人生の目標やいきがいもなく、
胸を張ってがんばった、という経験もなく、なんとなく生きてきました。

人生を変えるための、初めてで、かつ最後のチャンスだと思っています。

もし私と少しでも似たような人生を歩んでいる方がおられましたら、
そのような方々にみてもらえたら、道しるべになれたら、

という思いでブログをはじめました。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

これからもよろしくおねがいいたします。